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奈良地方裁判所 昭和60年(ワ)101号 判決 1993年2月09日

原告 東京海上火災保険株式会社

被告 奈良県

代理人 井越登茂子 吉村登美子 ほか三名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二八一〇万四一七八円及びうち金六一五万〇八四五円に対する昭和六〇年四月一〇日から、うち金一九四五万三三三三円に対する昭和六一年四月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自家用自動車保険契約に基づき、交通事故の被害者に保険金を支払った保険会社が、事故の発生について被告に国家賠償法一条一項及び二条一項に基づく責任があるとして、求償を求めた事案である。

一  前提となる事実

1  保険契約の締結

原告は、各種保険事業を主たる目的とする会社であり、後記2の保険事故(交通事故)に先立ち、訴外南孝明(以下「南」という。)との間で、被保険者南、後記2の保険事故を保険期間内とする対人賠償保険金額五〇〇〇万円の自家用自動車保険契約を締結した。

(<証拠略>によって認める。)

2  保険事故(交通事故)の発生

次の保険事故(交通事故)が発生し(以下「本件事故」という。)、丸谷幸代(以下「丸谷」という。)が重傷を負った。

(一) 日時 昭和五五年六月一日午前一一時五〇分頃

(二) 場所 奈良市佐紀町一九二九番地先路上(奈良市道外環状線)

(三) 加害者 普通乗用自動車(奈五五ゆ八三五二号)

右運転者兼保有者 南

(四) 被害者 普通乗用自動車(奈五五ま九〇〇二号)

右運転者 丸谷

(五) 態様 南孝明が加害車を運転して東から西に向かって進行中、本件道路上を覆っていたぬかるみに進入したのち、停止していた被害車に衝突してこれを押し出し、付近に立っていた丸谷に衝突させた。

(当事者間に争いがない。)

3  本件事故現場付近における違法造成工事

(一) 株式会社関西企業(以下「関西企業」という。)等は、本件事故現場の南側に存する奈良市歌姫町字長谷一九二九番一ほかの土地(以下「本件造成地」という。)において、昭和五四年九月頃から、宅地造成工事を行っていた。

(二) 本件造成地は、宅地造成等規制法(以下「宅造法」という。)上の宅地造成工事規制区域に指定され、同区域内において行われる宅地造成に関する工事については、工事着手前に奈良県知事の許可を受けなければならないとされていた。

また、本件造成地は、砂防設備が新設されるのを受忍し、特定の行為が禁止制限される土地として指定された砂防法上の砂防指定地であり、奈良県砂防地指定規則により、土地の掘削、盛土、切土その他土地の現状を変更するなどの行為をする場合には知事の許可を受けなければならないとされていた。

(三) 奈良県知事は、本件造成地について、右各許可その他の監督権限を有する行政官庁であるところ、関西企業等はいずれも宅造法、砂防法の所定の許可を得ることなく、本件造成工事を開始した。

知事は、昭和五四年九月八日、関西企業等が本件造成地上の樹木を伐採していることを確認するや、再三、工事停止の指導や警告を行い、同年一二月には工事停止命令をなした。

(当事者間に争いがない。)

4  原告による保険金の支払い等

(一) 丸谷は、南、奈良市及び関西企業等を被告として本件事故に基づく損害賠償請求訴訟を提起し(奈良地方裁判所昭和五七年(ワ)第三八四号事件、同五八年(ワ)第四三号事件)、南は、被告に対し、昭和五九年三月三〇日、訴訟告知した。

(二) 奈良地方裁判所は、昭和六一年三月七日、右各事件につき、南に対し、民法七〇九条に基づく不法行為責任及び自賠法三条の運行供用者責任を認めたほか、本件造成地から土砂が本件道路に流入したことが本件事故発生の一因になっているとして、関西企業に対し土地工作物占有者の責任(民法七一七条一項)を、奈良市に対し道路管理責任(国賠法二条)を認め、次のとおりの支払いを命ずる判決を言い渡した。

(1) 南及び奈良市は、各自、丸谷に対し、金四七七四万四三七八円及び内金四四七四万四三七八円に対する昭和五五年六月一日から、内金三〇〇万円に対する昭和六〇年二月五日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え(主文第一項)。

(2) 関西企業は、丸谷に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五五年六月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え(主文第三項)。

なお、右判決で認定された丸谷の損害額及び既払額は、次のとおりである。

ア 総損害額         合計七四五五万六九一三円

<1> 治療費          六八九万八六〇七円

<2> 看護費           五四万五四三一円

<3> 雑費            七七万三四〇〇円

<4> 通院交通費         三八万四二四五円

<5> 休業損害          七〇万八三三八円

<6> 後遺障害による逸失利益 五一九六万二二〇五円

<7> 慰謝料(入通院、後遺障害、流産) 八五〇万円

<8> 文書料            一万二〇〇〇円

<9> 養育費           七二万二四〇〇円

<10> 家屋改造費         一六万五〇〇〇円

<11> 将来の補助具の費用     八八万五二八七円

<12> 弁護士費用            三〇〇万円

イ 損害填補額(既払額)     二六八一万二五三五円

ウ 弁護士費用を除く損害残額   四四七四万四三七八円

(三) 前記判決言渡し後の昭和六一年三月一八日、丸谷と南、奈良市、関西企業との間で、次の内容の和解が成立した。

(1) 南、奈良市及び関西企業は、前記判決に対し、丸谷による次項の免除を条件として控訴権を放棄する。

(2) 丸谷は、南らが前記判決に対する控訴権を放棄することを条件に、南らに対し、判決主文で支払いを命ぜられた金額のうち、遅延損害金を含め、総額五〇〇〇万円を超える部分の支払義務を免除する。

(3) 丸谷は、南らが奈良県(被告)を含めて負担割合の協議をするため、右五〇〇〇万円の支払義務を昭和六一年四月三〇日まで猶予し、前記判決に基づく強制執行はしない。

(4) 前項の期限を経過するも南らが前項の金額を支払わない場合、丸谷は金五〇〇〇万円(関西企業に対しては金一〇〇万円)を限度として強制執行することができる。

(四) 原告は、丸谷に支払うべき賠償金の負担割合について奈良市と交渉するとともに、被告に対し、本件事故発生について責任があるとして、その三〇パーセントの負担を求めて交渉したが、その交渉がまとまらなかったため、丸谷に支払うべき前記五〇〇〇万円のうち、原告が三〇〇〇万円を、奈良市が二〇〇〇万円を仮に支払った。

その後、原告、南、奈良市との間で、昭和六一年五月一五日、「前記昭和六一年三月一八日付覚書に基づく総賠償額金七六八一万二五三五円(南及び原告からの判決前の既払額金二六八一万二五三五円を含む。)の三〇パーセント相当額である金二三〇四万三七六〇円を奈良市の負担とする。」旨の協定を取り交わし、原告は、最終的に、丸谷に対し、損害賠償金総額七六八一万二五三五円のうち、五三七六万八七七五円(前記既払額金を含む。)を支払った。

((一)、(二)については当事者間に争いがなく、(三)は<証拠略>によって認める。(四)のうち、原告が被告に対し三〇パーセントの負担を求めて交渉したことは争いがなく、その余の事実は、<証拠略>によって認める。)

二  争点

原告は、被告に対し、本件事故は、南、奈良市及び被告らの共同不法行為によって発生したものであり、その負担割合は、南、奈良市、被告(及び関西企業とその違法な職務を遂行した関西企業の取締役等)がそれぞれ三分の一ずつとするのが相当であるとし、総賠償額金七六八一万二五三五円の三分の一に相当する金二五六〇万四一七八円の求償及び本件訴訟追行のための弁護士費用金二五〇万円(以上合計二八一〇万四一七八円)の支払いを求めている。

主たる争点は次のとおりである。

1  被告の国家賠償法一条に基づく責任

(一) 原告の主張

(1) 本件事故発生の原因

本件事故は、関西企業等が行った違法造成工事により、大量の土砂が本件道路に流入し、道路に危険が生じていたところに、南の過失が競合して発生したものである。

関西企業等は、本件宅地造成をなすに当たって宅造法、砂防法により奈良県知事の許可を受けなければならないのにもかかわらず、これを受けることなく、また、宅地造成をなすに当たっては、これに伴う災害が生じないようにその宅地を常時安全な状態に維持するように努めなければならないのに、災害防止のための必要な技術水準を無視して工事を遂行したため、右の大量の土砂の流出といった事態を引き起こした。

(2) 宅造法に基づく規制権限の不行使

被告の長である知事は、関西企業等が、無許可で、しかも災害防止のための必要な技術水準を無視して宅地造成工事を行っていることを知りながら、工事中止の行政指導あるいは命令をなすにとどまり、それ以上の措置を講じなかった。知事が、関西企業等に対し、土砂の流失を防止するための擁壁若しくは排水施設の措置を命ずる等の危険防止のために必要な措置(宅造法一三条二項)をとっていれば、本件事故の発生を容易に防ぎえたものであり、知事は、このような公権力の行使を怠った結果、前記のような大規模な土砂流失を招き、その結果、本件事故を発生させたものである。

(3) 砂防法に基づく規制権限の不行使

知事は、昭和五四年九月ころから本件造成地の山林が何らの許可もなしに伐採されていることを確認したのであるから、関西企業等に対し、速やかに許可を受けるように促し、その際、必要な条件を付すか(奈良県砂防指定地規則七条)、少なくとも砂防堰堤等の防災設備を設置するよう指示すべきであったにもかかわらず、これを怠り、無許可で工事を続行するであろうことを予測しながら漫然と放置し、砂防法三五条、三六条による代執行や、間接強制等の権限を発動しえたにもかかわらず、その機会を自らの怠慢により逸したものであり、砂防指定地に関する治水砂防上管理監督すべき義務を著しく怠ったものというべきである。

また、一般に、砂防指定地の保全については、現状を常時把握して砂防設備の新設、改良、維持等の工事の必要の有無、工事施行の時期等を判断するため、常時の監視を必要とするところ、本件造成地について、そのような監視が十分になされなかった。

(4) 連絡通報義務の懈怠

被告は、本件のような砂防指定地の山林が伐採されて、違法な宅地造成がなされ、本件道路上に土砂が流出して交通を阻害するおそれがあると判断したときは、本件道路を管理する奈良市に対し、道路の安全を監視し、危険が生ずればこれを除去するよう通報し、危険を防止すべき義務があったところ、被告はこれを怠った。

(二) 被告の主張

(1) 知事の権限の不行使の違法が問題となるのは、知事が権限を行使しないことが著しく合理性を欠き、社会的に相当でないと認められる場合に限られるべきである。本件において、知事の権限の不行使が著しく合理性を欠くかどうかは、知事が法令に定められた権限を適宜行使していたか否か、その権限行使の合理性の有無、本件造成地における具体的な生命、身体、財産に対する差し迫った危険の有無、知事が権限を行使しなければ結果の発生が回避できなかったかどうかなどの諸事情を総合考慮して判断されるべきである。

(2) 本件造成地は、前記宅造法、砂防法による規制のみならず、都市計画法上の市街化調整区域、同法上の風致地区として規制がなされていたところ、奈良県風致地区条例(以下「風致地区条例」という。)、砂防法、宅造法によって是正措置の内容が異なっていたのであるから、知事が命ずる是正措置は、これらの法令の目的及び是正措置の内容を総合的に考慮し、行為の違法の内容、程度、工事施行者による違反状態解消の努力の有無、是正措置を命じた場合の工事施行者の経済的損失の程度、違法行為により生ずる危険性など、諸般の事情を総合考慮して、適切な措置方法をとることができるのであって、どのような是正措置をいつ命ずるかは、知事の合理的な判断に委ねられている。

こうした観点から、知事は、関西企業等が無許可造成工事を行っていることを知ってからは、まず、その工事の中止を指導した。そして、本件造成地については、前記の各規制があって、一般分譲住宅等の建築が禁止されていたのであるから、関西企業等による違法状態を排除するための是正措置としては、原状回復を図ることが最も適切な措置であると判断し(違反行為を助長するような宅造法、砂防法及び風致地区条例上の許可を受けることを促したり、許可を前提に条件を付けることはできなかった。)、関西企業等に対し、工事停止を勧告し、次いで停止を命じたものである。さらに、知事は、関西企業等が是正措置に従わなかったため、奈良警察署に告発し、刑罰権の発動も促したのであり、前記法令の目的・趣旨に従って十分な措置を講じたものである。

本件において、擁壁等の設置を命ずることは、都市計画法及び風致地区条例の規制目的に反し、適切な措置とはいえない。

(3) さらに、本件造成地における違法工事の間、地元住民から「本件造成地から土砂が流出するおそれがあって危険である。」旨の苦情はなく、生命、身体、財産等に対する切迫した危険性が存していたとはいえず、しかも、本件造成地からの土砂が道路に流出したことによって必然的に交通事故が発生するものではない。したがって、本件造成地から土砂が道路に流出して交通事故が発生するという危険の切迫性はなかったというべきである。

(4) 本件事故発生防止義務は、第一次的には、無許可で、しかも、被告の度重なる工事停止の勧告や命令を無視して造成工事を続行した関西企業等が負うべきものである。関西企業等が被告の工事停止の勧告や命令に従い、早い時期に造成工事を中止していれば、土砂流出という事態は生じなかった。

次に、本件事故の責任は、第二次的には、南が負うべきものである。すなわち、南が制限速度を守り、前方注視義務を尽くし、前方の道路状況を十分に把握して自動車を運転していれば、本件事故は回避できたものである。

さらに、奈良市は、本件道路の管理者として、本件道路を常時良好な状態に保つように維持管理し、もって一般の交通に支障を及ぼさないようにすべき義務があり、道路として通常備えるべき安全性確保のために適宜の措置をとっていたならば、本件事故を回避できたものである。

したがって、被告が関西企業等に対し、擁壁の設置等の災害防止措置を命じなければ本件事故が回避できなかったというものではない。

(5) 被告と奈良市との連絡通報義務についても、都市計画法、宅造法等による許可申請書を開発区域造成地の存する市町村長を経由して提出させる等、土地開発行為等に係る事項については、被告は、関係市町村との間で、通報連絡等をとり、適正かつ円滑な事務処理を行っている。

本件についても、被告は奈良市に対し、本件造成地の造成工事内容、関西企業等に対する措置等を随時通報連絡していた。

2  被告の国賠法二条一項に基づく責任

(一) 原告の主張

(1) 国賠法二条一項所定の公の営造物とは、国又は公共団体等の行政主体により特定の公の目的に供用される物的施設を指称するものと解されるところ、砂防法による砂防指定地は、国が治水上砂防の目的に供する土地の区域の総体であって、右の意味における公の営造物というべきである。

(2) 本件造成地は、道路脇の傾斜部分について何らの土どめの設備が施されておらず、雨が降れば土砂は流れ放題の状態となり、道路内がぬかるみとなっていた。さらに、被告自身、本件違法造成を行った関西企業等の態様が著しく悪質なものであって、土砂の流出により第三者に被害が及ぶおそれの存することも認識していた。

したがって、被告は、本件造成地を含む砂防指定地を管理し、降水等による土砂の崩壊等の危険の存在を予見したならば、直ちに原状回復等の保全措置を講じ、第三者への被害の発生を未然に防ぐべき高度の安全保持義務が存するにもかかわらず、これを怠ったというべきであり、本件砂防指定地は、その砂防目的を達するために通常備えておくべき機能を欠き、瑕疵があったというべきである。

(二) 被告の主張

国賠法二条一項の公の営造物とは、国又は公共団体が道路、河川、建物のように一定の目的に供するため直接これを支配し、設置管理している有体物、物的設備を指す。

本件造成地は、私有地であり、私人の一定の行為を禁止制限することによって治水上砂防の目的を達しようとする目的で指定された土地であり、砂防法上禁止制限される以外の土地使用、管理は、その所有者が自由にできるのであって、国又は公共団体が直接支配管理している土地ではない。

したがって、本件造成地は、国賠法二条一項の公の営造物には該当しない。

3  被告の責任が認められた場合の被告の負担割合

第三争点に対する判断

一  被告の国家賠償法一条に基づく責任について

1  本件事故の態様及び事故発生の原因

(一) 本件事故の態様

前記第二の一の争いのない事実に、証拠(<略>)を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 本件事故現場は、東西に通ずる奈良市道北部第一二四四号線(通称「外環状線」)(本件道路)とそこから北に延びる道路とがT字形に交わる交差点(本件交差点)の西方約四六・三メートルの地点であり、その付近の状況は別紙図面記載のとおりである。

本件道路は、歩車道の区別がある片側二車線の直線道路であり、東西の見通しはよく、制限速度は時速五〇キロメートルとされていた

なお、本件事故当時の天候は晴れで、後記ぬかるみ部分を除いて、アスファルト舗装された路面は乾燥していた。

(2) 本件交差点は周囲よりも低くなっており、本件事故当時、本件交差点内には、別紙図面記載のとおり、東西約三五メートル、南北約八・四メートルの広い範囲に水を含んだ泥土が溜まっていた(以下「本件ぬかるみ部分」という。)

(3) 丸谷は、本件事故発生の直前、被害車を運転し、本件道路の左側車線を東から西に向かって進行中、本件交差点内の本件ぬかるみ部分を発見したため、徐行して本件交差点を通過した。その際、被害車の右側をダンプカーが追い抜き、泥土を丸谷車のフロントガラスにはねあげて、前方注視が困難となったため、丸谷は、本件交差点を通り過ぎた別紙図面<A>付近に被害車を停止させ、被害車から降りてフロントガラスに付着した泥を拭き取ろうとしていた。

(4) 南は、加害車を運転し、本件道路を東から西に向かって時速約七〇ないし八〇キロメートルの速度で進行中、約一六〇メートル前方に大きな水溜まり状のものがあることを発見した。しかし、南は、ほぼ同一の速度で進行し、別紙図面<2>付近に至ったところ、前方にあるものが単なる水たまりではなく、泥土を含んだものであることに気づいたが、そのまま減速することなく進行した。そして、南は、本件ぬかるみ部分の約二・八メートル手前の地点(別紙図面<3>付近)において、はじめて泥土が深く溜まっていることに気づき、危険を感じて急制動の措置をとったが及ばず、本件ぬかるみ部分の中に突入してハンドルをとられ(南が侵入した付近の深さは約一五センチメートル)、ブレーキもきかない状態で滑走したが、その際、左側歩道に衝突するかもしれないと思ってハンドルを右に切ったところ、今度は中央分離帯に衝突しそうになったため(別紙図面<4>付近)、さらにハンドルを左に切ったところ、前方道路左端に停車中の被害車(同<A>付近)の左側後部に加害車前部を衝突させ(同<5>付近)、その衝撃により被害車を左側に押し出し(同<A>から<B>付近)、同車の左側方に立っていた丸谷(同<ア>付近)に衝突させた。

(甲七〇号証中には、右認定に反する供述記載部分が存するが、甲五、六八、六九号証の記載に反し、信用しない。)

(5) 本件事故後、奈良警察署警察官が本件交差点付近において走行実験を行ったところ、本件ぬかるみ部分に進入した際、ハンドルが軽く感じて進路が左に流れ、また、ブレーキをかけると車体がすべるようになって進路が左に流れることが認められ、以上の結果から、本件ぬかるみ部分を通行するときは進路が左に流されるため、低速で走行する必要があると判断された。

(二) 本件事故の原因

(1) 前記の本件事故の態様等に照らすと、南は、本件道路を進行中、前方の交差点内に水の混じった土砂が溜まり、路面を覆っているのを認めたのであるから、このような箇所を高速度で進行したり、急ブレーキをかけたりすると、ぬかるみにハンドルをとられ、操縦の自由を失うおそれがあったから、減速徐行して進行すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、本件ぬかるみ部分に進入する直前まで高速で進行し、その直前で急ブレーキをかけたことにより、本件事故を発生させたものと認めることができる。

(2) そして、右認定したところによれば、本件事故発生については、水を含んだ大量の土砂が交差点内に流入していたこともその一因となっていたことが明らかであり、本件事故は、このことと南の前記過失が競合して発生したものと認められる。

(三) 本件土砂流入の原因等

証拠(<略>)によれば、右土砂は、本件事故のあった日の前日に激しく降った雨により、本件造成地から多量の表土が流れだして本件道路に流入し、それが泥土となって前記のような範囲で路面を覆っていたこと、本件事故後、奈良市土木管理センター職員が右土砂の取り除き作業を行ったが、その量は約六立方メートル程度であったことが認められる。

また、前掲証拠によれば、本件事故当時、造成工事は中止されていたが、本件事故現場付近は、以前にも、降雨があれば、本件造成地から土砂が流出し、本件交差点内に流入して溜まったことがあり、昭和五五年三月一日には、本件造成地から本件道路の南端に土砂が流れだして、本件道路の側溝を埋め、水が路上に溢れ出て、交通の支障となるおそれがあったため、奈良市土木管理センターが右土砂を除去したことがあった(ただし、そのときの土砂の量はたいしたことがなかった。)ことが認められる。

2  本件造成地についての規制内容、被告の対応

(一) 本件造成地に対する規制

前記のとおり、本件造成地は、宅造法の宅地造成工事規制区域、砂防法上の砂防指定地として法令で規制されていたほか、証拠(<略>)によれば、次の規制がなされていた。

(1) 都市計画法上の市街化調整区域

本件造成地は、都市計画法上七条三項の市街化調整区域に指定されており、同法三四条に定められた建築物以外の一般分譲住宅や建売住宅は建築できない地域とされていた。

(2) 都市計画法上の風致地区

本件造成地は、都市計画法八条一項七号の風致地区に指定され、奈良県風致地区条例で、風致地区内における建築物の建築、宅地の造成、木材の伐採その他の行為が規制されていた。そして、宅地の造成、土地の開墾その他土地の形質を変更する等の場合は、予め知事の許可を受けなければならず(同条例二条一項)、知事は、風致の維持に支障を及ぼすおそれがないこと等の一定の基準に適合しないものは宅地の造成等を許可してはならないとされ、同条例二条一項に違反して工事をした者等に対しては、工事その他の行為の停止を命じ、若しくは相当の期限を定めて建築物等の改築、移転、除却その他違反を是正するための必要な措置をとることを命ずることができるとされていた(同条例七条一項)。

(二) 関西企業等による本件造成工事及びこれに対する被告の対応

前記第二の一の争いのない事実に、<証拠略>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 株式会社新田設計(代表取締役は新宅嶺一。以下「新田設計」という。)及び新田土木工業株式会社(代表取締役は新宅嶺一。以下「新田土木工業」という。)及び関西企業(代表取締役は吉田レスターとされていたが、実質上の経営者は新宅)は、自分らが占有管理する本件造成地に宅造法等の規制があることを知りながら、所定の許可手続を受けることなく、昭和五四年九月ころから、本件造成地について、宅地造成の工事を開始した。

(2) 昭和五四年九月八日、被告風致保全課がパトロール中、本件造成地において、無許可のまま山林の伐採工事が行われているのを発見し、工事をしていた新田土木工業の作業員に対し、口頭により工事の停止を指示した。

しかし、新田土木工業らは右指示を無視して本件造成地上の山林約一万五〇〇〇平方メートルを皆伐し、同年一一月一二日の風致保全課によるパトロール時には造成工事に着手していた。そこで、同日、同課職員が現地において改めて新田土木工業らに対して工事停止を指示した。

(3) 同月一八日、被告土木部建築課、風致保全課及び奈良土木事務所の各職員が現地調査を行ったところ、造成工事はかなり進み、雛壇状の土地の造成が行われていたことから、右工事は宅地造成の目的であると判断され、職員は、新宅に対し、いったん工事を停止して、宅造法、風致地区条例、砂防法の許可手続を申請するよう口頭で指導した。

(4) 右指導にもかかわらず、新田土木工業らは本件造成工事を続行したため、同月二二日、被告風致保全課が工事停止警告書を送付し、さらに、同月二八日、被告土木部長は、関西企業及び新田設計に対し、本件造成工事は宅造法に定められた手続をしていない違法行為であるので、同法八条一項による許可を受けるまで工事を停止するよう警告する一方、関西企業に対し、本件造成地は、砂防指定地であるので、土地の形状を変更しようとするときは、砂防法に基づく許可が必要であり、所定の手続による許可を受けるまで工事を中止するよう勧告した。なお、その際、土砂流出等の防止工事を施行する場合は、土木事務所長に届け出て、その指示を受け、造成工事同様、無断で行わないよう指示した。

(5) その後、同年一二月七日、被告土木部建築課職員等が新田設計代表取締役新宅に対し、宅造法一三条四項の聴聞を行ったが、その際、新宅は「本件造成工事の本当の目的は新田設計、新田土木工業等の資材置場、車庫等として使用するためである。」などと述べ、工事を直ちに停止する姿勢は見せようとしなかった。

一方、同年一二月一一日、新田設計及び関西企業に対し、奈良県風致条例七条二項に基づき、被告風致保全課職員による聴問が行われたが、そのときは新田設計代表取締役新宅及び関西企業代理人中川昌勍が出席し、新宅らは「苗木畑として造成しているが、関西企業が造成完了後、石材置場、建築資材置場等として利用する予定である。許可が難しいと聞き、工事が先行した。悪いことをしたことについては陳謝する。」「後日、県からの指示があれば従う。処分もあればやむなく受ける。」などと述べたが、直ちに工事を停止する約束はせず、風致保全課職員は、防災上の措置を除き、工事は速やかに中止するよう指導した。

(6) 同月二一日、知事は、関西企業、新田設計及び新田土木工業に対し、奈良県風致地区条例七条の規定により、防災上の措置を除き、直ちに本件造成工事を中止するよう命じた。

しかし、関西企業らはその後も工事を続行したため、同月二四日、知事は、関西企業に対し、本件造成工事は宅造法八条一項の規定に違反しているので同法一三条二項により、防災上の措置を除き、直ちに工事を停止すべき旨の、また、奈良県砂防指定地規則三条一項の規定に違反しているので、砂防法四条の規定により、直ちに工事を停止すべき旨の各命令を出した。

さらに、同月二七日、被告風致保全課において、行為停止の看板を本件工事現場に設置するとともに、工事を続行した新田設計代表取締役の新宅及び関西企業の代表取締役の吉田レスターに対し、厳重注意を行った。

(7) しかし、その後も本件造成工事は続けられ、昭和五五年一月八日に被告土木部建築課職員が調査に赴いたときは、排水管の敷設、側溝、宅地の石積み等がなされていた。なお、このときも同課職員が口頭で工事の中止を指導した。

その後、同年二月一五日、知事は、本件造成地に、本件工事は宅造法に違反しているので工事停止を命じている旨の注意看板を設置した。

(8) しかし、新田土木工業らは工事を中止せず、本件造成地上に木造建物を建設する等したため、同年三月二九日、被告企画部長は、奈良県警に対し、施主関西企業、代理人新田設計、施行者新田土木工業として、これらの者を奈良県風致地区条例二条一項、七条一項、宅造法八条一項、一三条二項、奈良県砂防指定地規則三条一項違反により告発した。

奈良県警は、昭和五五年五月八日に本件造成地の検証を行い、奈良地方検察庁に送致した。

(9) 本件造成工事はその後も進み、建物が四棟完成したところ、被告もこれ以上放置できないとして代執行の手続をとり、同年六月九日に実施する予定でいたところ、新田土木工業らは、同日、右建物を任意に撤去した。

(10) 本件造成地の東側には山を削った部分があるが、本件造成地に調査に赴いた土木部建築課、同河川課職員は、切土であり、この部分が崩れるおそれはなく、また、雛壇とされた本件造成地の法面も、ほとんど切土であり、また、擁壁が設置される等していたことから、雨等によって崩れるおそれもないと判断していた。

なお、前記のとおり、昭和五五年三月一日、本件造成地から本件道路の南端に土砂が流れだして、本件道路の側溝を埋め、水が路上に溢れ出たことがあったが、このようなことがあったことを被告担当職員は知らされていなかった。

3  知事による規制権限行使あるいは不行使の相当性等

前記1、2の事実を前提として、本件における知事の規制権限の行使あるいは不行使の相当性について判断する。

(一) 宅造法に基づく規制権限行使あるいは不行使

(1) 宅造法は、宅地造成に伴いがけくずれ又は土砂の流出を生ずるおそれが著しい市街地又は市街地となろうとする土地の区域内において、宅地造成に関する工事等について災害の防止のため必要な規制を行うことにより、国民の生命及び財産の保護を図り、もって公共の福祉に寄与することを目的とし(同法一条)、知事に、同法一五条の勧告、一六条の命令等を発する権限を付与しているものであるが、その権限の行使は、知事の専門的、合理的判断に基づく自由裁量に委ねられているものと解され、したがって、改善の命令等を発しうる要件が備わったからといって、知事の命令権等の不行使が常に違法となるものでなく、その自由裁量が著しく合理性を欠くと考えられるときに違法となるというべきである。

(2) 前記認定の事実によれば、本件造成地について無許可で宅地造成が行われていることが判明して以来、被告担当職員は、まず工事を中止するよう指導したうえ、その許可については、本件造成地は市街化調整区域であるため、宅造法の許可はできず、原状回復を求めるのが相当であると判断し、これに基づき、現場における指導、警告等により再三工事の中止を指示し、さらに、聴問手続を経たうえ、宅造法に基づく工事中止命令を発し、関西企業らがこれに従わなかったため、告発の措置もとったものであり、本件造成地についての規制内容に照らし、その原状回復を講じようとしたことに不合理とすべき点はなく、また、被告は、本件造成工事の進捗状況、関西企業らの態度等を勘案して、その都度相当と考えられる措置を講じたものと認められる。知事の規制権限の行使について著しく合理性を欠いていたものとは認められない。

(3) ところで、宅造法一三条二項によれば、同法八条一項の規定に違反して宅地造成に関する工事がなされた宅地については、当該造成主に対し、当該宅地の使用を禁止し、若しくは規制し、又は相当の猶予期限をつけて擁壁や排水施設の設置等災害の防止のため必要な措置を命ずることができるとされているところ、原告は、本件において、そのような措置を命ずるべきであったと主張する。

しかしながら、前記認定の事実によれば、<1>本件造成地については、造成地自体が崩壊する等のおそれは認められなかったこと、<2>本件事故前、降雨時に本件造成地の表土が流出し、本件道路に水や土砂が溜まったことが何回かあったが、それにより事故が発生したことは認められなかったこと、<3>昭和五五年三月一日に土砂が流出し、奈良市がこれを除去したことがあったが、そのときも側溝に土砂がつまり、本件交差点内に水が溜まった程度であったこと、しかも、このことは被告には知らされなかったこと、<4>本件事故は、南の前方不注視及び速度違反の過失によるところが大きいと認められることを考慮すると、本件において、国民の生命、身体等に対して具体的な危険が切迫しており、かつ、知事(ないしは事務委任を受けた担当職員)が右のような具体的危険の切迫を知り又は容易に予見しうる情況にあったことは窺えず、知事が本件造成地からの土砂の流出を防止するため擁壁若しくは排水施設の設置を命ずる等の措置を講じなかったことをもって、合理的な裁量を超えた違法な権限の不行使があったということはできない。

(二) 砂防法に基づく規制権限の不行使

(1) 砂防法は、砂防の見地から治水対策を行い、土砂の流出による災害を防止することを目的とし、この目的達成のため、都道府県知事に、砂防指定地(二条)を監視し、砂防設備を管理したり砂防工事を施行して砂防設備を維持することを義務づける(五条)一方、治水上砂防のため砂防指定地内で第三者の行う一定の行為を禁止若しくは制限し(四条一項、奈良県砂防地指定規則三条一項)、設備の変更を命じたり、違反者に対しては原状回復等を命ずることができる(砂防法二九条、三〇条)等、治水上砂防の目的の範囲内において、砂防指定地の現状を変更して治水上砂防に影響を与えるところの一定の有害行為の排除のために知事に右規制権限を付与している。そして、許可なく砂防指定地が開発等の変更が加えられた場合、どのような是正措置を講ずるかは、知事の専門的、合理的判断に基づく自由裁量に委ねられているものと解され、ただ、その自由裁量が右権限が付与された趣旨・目的に照らして著しく合理性を欠くと考えられるときに違法となるというべきである。

(2) 本件において、被告担当職員は、本件造成地において無許可で山林の伐採工事が行われていることが判明するや、直ちに工事の停止を指示し、その後も工事を中止して砂防法の許可手続を覆践するよう指導した後、本件造成地については、他の規制がなされていることも併せ考えて、工事の停止命令を発したり、告発する等の措置を講じたものであり、その付与された前記規制権限行使の裁量権に逸脱の違法があったと認めることはできない。

(3) この点について、原告は、関西企業等に対し、少なくとも砂防堰堤等の防災設備を設置するよう指示すべきであったと主張するが、前記(一)(3)で述べた事情を考慮すると、本件事故発生までに、被告担当職員が右のような指示をしなかったことをもって、合理的な裁量を超えた違法な権限の不行使があったということはできない。

また、同様に、砂防法三五条の代執行、三六条の間接強制等の措置を発動しなかったことが、裁量権を逸脱したものと評価することもできない。

(4) さらに、原告は、知事は砂防法で定められた監視義務を怠ったものであると主張するが、前記の被告の対応等を考慮すると、この点について担当職員に職務上の過失があったものということはできない。

(三) 連絡通報義務の懈怠について

前記認定の事実、特に、前記(一)(3)の事情を考慮すると、本件事故発生前、被告担当職員に本件道路管理者たる奈良市に対する連絡通報義務があったものとは認められない。

したがって、この点についての原告の主張も採用できない。

二  国賠法二条一項に基づく責任について

1  国賠法二条一項にいう公の営造物とは、国又は公共団体等の行政主体により特定の公の目的に供用されている物的施設を指すものと解される。

本件造成地は、前記のとおり、砂防指定地であるが、国又は公共団体が所有権、賃借権等の権原に基づいて直接支配管理する土地ではなく、関西企業等の私人が所有、管理している土地であり、ただ、治水上砂防の目的を達するため、形状の変更等の一定の行為を禁止制限する等の規制がなされているに過ぎない。

したがって、本件土地を国賠法二条一項にいう公の営造物であるということはできない。

2  のみならず、前記本件造成地の危険の切迫性の程度や、本件事故の態様、そして、本件造成工事に対する被告側の対応等を考慮すると、本件において知事に管理の瑕疵があったものと認めることはできない。

三  結論

よって、原告の本訴請求は、原告の求償しうる範囲等のその余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

別紙図面<略>

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